文章を書いているのに、頭の中ではずっと映像だった
今回の制作では、文章と並行してたくさんのビジュアルも作りました。
最初のカモフラージュ車両。
テスト走行を続けるRZ-7。
正式発表された赤い車体。
カタログ。
発表会のステージ。
そしてCMのような映像。


小説を書いているはずなのに、自分の頭の中ではずっと映画かCMのように場面が動いていました。
「ここはこんなカメラ位置だろう」
「発表会では、ここで照明が入るだろう」
「このシーンなら、音は少なくしたい」

そんなことまで考えています。
昔から、CMのような短い映像の中にひとつの世界を作ることに憧れがありました。
AIで画像も映像も作れるようになった今、その昔の願望まで、この作品の中で少しずつ形になっていった気がします。
小説を書く。
クルマをデザインする。
カタログを作る。
CMを考える。
別々のことをしているようで、今回は全部ひとつの世界を造る作業でした。
最後に残したかった、小さな景色
物語の大きな山場は、もちろんRZ-7が未来へ向かって走り出すことです。
でも、最後に自分が残したかったものは、それほど大きな景色ではありませんでした。
発表会が終わり、エンドロールまで流れたあと。
もしこれが本当に一本の映像作品になったなら、そのさらに後に流れるポストクレジットのような、小さな場面。
新しいRZ-7を見つめる親子。
造った人たちが届けたものを、次の世代が何気なく見ている。
そんな景色です。

ものづくりは、完成した瞬間で終わるものではないのかもしれません。
誰かが造ったものを、誰かが受け取り、そこからまた次の何かが始まる。
だからタイトルも、
『RZ-7 ロータリーは、未来へ。』
になりました。
そして、カクヨムへ
最初は、Xに投稿するために作った一枚の架空スクープ画像でした。
それが少しずつ設定を持ち、人が生まれ、物語になり、何度も推敲を重ねて、ようやく完成稿になりました。
そして今回、カクヨムで公開するところまで来ました。
最初の画像を作った時には、もちろんここまで来るとは思っていませんでした。
「なんとなく、この形が好きだな」
本当に、それだけだったんです。
でも、たぶん創作というものは、こういうところから始まることがあるのでしょう。
一枚の絵から想像してみる。
もう少し先を考えてみる。
そこに人を置いてみる。
その人が何を思うのか考えてみる。
気がつけば、ひとつの世界になっている。
今回の『RZ-7』は、自分にとってそんな作品になりました。
クルマを一台、物語の中で造ったつもりでした。
でも最後に残ったのは、クルマそのものより、
それを未来へ届けようとする人たちの想いだった気がします。
そんな一台が生まれるまでの物語を、ひとまずここに残しておきます。
『RZ-7 ロータリーは、未来へ。』
カクヨムにて公開中です。
[カクヨム作品ページへのリンク RZ-7 ロータリーは、未来へ。]

